瞑想を習慣化して武器を手放す方法

哲学×心理学

瞑想を習慣化するのは、本当に難しい。

忙しい時ほど、瞑想をしたいけど、自分の時間がなくなるから、ゆっくり座って、目を閉じる、そんな時間さえ、もったいないと感じてしまう。

だけど、自分で、瞑想が習慣化できれば、静かな空間じゃなくても、環境がいつもと違っても、どんな時でも瞑想ができるようになる。

それは、よく川の流れに例えられる。

川はいつも水が流れてくるから、時々、水が流れなくなったとしても、「川の道」はなくならない。だから、雨が降ればいつでも川の流れができる。

これは、そのための準備がいつもできている。「習慣」になっているということ。

何事も、「いきなり」はできない。ブログもいきなりは書けないし(笑)、カウンセリングもできない、意中の相手に告白もできない。それと同じで、いきなり瞑想もできない。

「道」を作らないと、止まってしまう。

だから、毎日、少しずつ、なにごとも習慣を作っていくことが大切。

瞑想を間違って捉えている人は、「集中する」ことに囚われている。

それは、よく「弓と矢」に例えられる。

弓を引っ張って、集中したのに、手を緩めなかったら矢は放たれないまま。

緩めて、初めて、矢が放たれる。

熟練してくると、矢を放つための「集中」の時間はどんどん短くなってくる。

プロになると、矢を出して、集中しなくても、一気に打てる。

緩める=手放す・委ねる・無になる ということ

瞑想をしていると、身体は動いていない。リラックスもしていない。

心の受動の感覚もない。能動の感覚もない。

その間の感覚が「瞑想」であると勉強する。

ただ「いる」だけ

ただ「意識」だけ

それだけで、本当は、すばらしい。

だから、私たちは、ただ「いる」だけで、すばらしい特別な存在。

ヨガをした後、最後のシャバーサナ(仰向けで、ただ寝るだけ)というポーズで、時々、涙を流す人がいる。

その人たちは、「なぜ涙がでるのか、わからない」という。

もしかしたら、ただ、ゆだねればよかったことに気づいて、楽になったから、泣くのかもしれない。

涙は感情を洗ってくれるから。

その心地よさを体験したあとは、環境や状況など、周囲に左右されず、その時の自分の身体と心の最大の能力を自然体で生かすことができるよう、ただ委ねて「道」をつくるだけ。

それを、心理学では、「サレンダー」とよぶ。

周りの状況や、自分に起こることは、「すべて今の自分に意味があること」だから、無理に抵抗せずに、流れに身を任せて、ゆだねていけばいい。

ついつい、武闘派女子(私も含む)は、「ゆだねること、現状維持は、悪いこと」「戦うことこそ、美しい」そう思ってしまいがちだけど、時には、起きている状況に身を委ねてサレンダーするのも大切なこと。

私たちは、ただ「いる」だけで、価値があるから。

戦わなくても、大丈夫。背負ってる武器を、重荷を、肩から下ろそう。

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