薄明かりが一番危険な時、恐れはただの幻想

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漠然とした恐れや不安は、私たちの心の中に、いつもあって、「経験したことのないもの」に挑戦するときほど、その気持ちが強くなる。結婚、離婚、恋愛もそうだし、仕事や転職、何にでも当てはまることだとおもう。

師匠である根本さんの「分かっているのに動けない理由~感情、思考、行動の不一致がもたらす不具合について~」の中での一文、

「ほんとうは子猫がいるだけ。しかし、その子猫に光を当てて壁に映し出された影はまるで猛獣のように見えます。私たちは、その影を見て怖れる、ということをよくしてしまう。つまり、その怖れや不安の実態は意外としょうもないものだったりするということ」

これは、不安だと幻想を抱いているのは「自分」で、やってみたら、意外にたいしたとない(子猫)。なのに、ただ自分が大きな不安(怪獣)だと思ってしまっていただけ。ということの例えであるのだけど、

この話を呼んで、こんなインドのお話を思い出した。


ある時、1人の男が、明け方に自分の家の裏庭へ出た。そして、突然、庭の隅の薄暗いところに、とぐろ巻きになった蛇を見つけた。

彼はびっくりして、「蛇だ、蛇だ!」と叫んだ。その声で目を覚ました人々が、棒切れをもって駆けつけてきた。彼らは、その隅っこの方へ、恐る恐る近づいた。

そして、その中の勇敢な1人が、長い棒で蛇のいるあたりを強く打ちつけた。

しかし・・・、何も起こらなかった。

ちょうどその時、1人の老人がランプを持ってやってきた。老人が、蛇がいるはずの隅っこへランプを近づけると、その光が照らし出したのは、ただのとぐろ巻きになったロープだった。

老人は笑って言った、「おまえたちは、みんな真実が見えていない。ただ、暗闇で手探りしているだけ・・・。何もありゃしない。ただのロープじゃないか。それを蛇と間違えるなんて・・。」

ロープをロープと理解するためには、光が必要だったのだ・・。

私たちにも、光が必要である。それは、真実と向いあうための光。

恐れは自分のただの幻想だという智慧。

このお話は、私たちに、もう1つのことを教えてくれる。

それは、薄明かりが一番危険な時であるということ。

なぜだろう?

それは、完全な闇の中ならロープも蛇も見えない。

そして明るい昼間の光の中なら、ロープはどう見てもロープである。

ただ、ぼんやりとした光の中でのみ、人はロープを蛇に間違える。

もし、あなたが、ただ暗闇の中で手探りしているだけであれば、あなたは、その「ロープ」さえ見えず、つまり、この世の「苦」も見えず、「真実」も知りたいとは思わない。

だから、「恐れ」や「不安」は、光を得た人のためにあるのでもなければ、何も知ろうとしない人のためにあるのでもない。その境目にいる人のためのものだ。


このお話は、「恐れや不安」は、決して怖いものではない。経験したことのないことに、挑戦しようとしている、「今」だから、感じるものだということを教えてくれているのだと思う。

私も、色んなことに、恐れや不安があるけど、1歩ふみだしてみると、ちゃんと受け止めてくれる人がいる。それが、自分の自信になって、恐れは、自分が創りだした幻想だということに気づく。その小さな積み上げが、自信となり経験となり、繋がっていくのだと思う。

だから、みんなの中にある「不安や恐れ」も決して怖いものではなく、挑戦しようとしている「今」だから、感じるもの。そして、それを乗り越えるには、どんなことでも、ほんのちょっとした「勇気」が必要だということ。

★★★

まずは、これが、私の小さな挑戦↓



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