欲望と執着を手放した先にあるもの

哲学×心理学

心理カウンセラー×パーソナルヨガのれんです。私もそうだった時期があったけど、なぜ自立系女子は、生きづまると「出家したい」と言い出すのかな・・。

もちろん、それは、目の前で起きている、問題から解放されて自由になりたいという思いがあるからだけど、それは、究極、欲望の放棄と執着を手放すことで叶えられるような気がする。(表現が武闘派・・笑)

こんな例え話がある。

ひとつの樹に二羽の鳥がとまっていて、形も色も同じ鳥。低い枝にとまっている鳥は、枝になっている果実をあれこれ食べている。甘く美味しい果実もあれば、苦い果実もあり、鳥はそれらを味わって一喜一憂する。

一方、上の枝に止まっている鳥は、果実を食べようとせず、何もせずただ、傍観者をしている。

やがて下の鳥は上の鳥を羨ましく思い、枝を上るけど、そこでまた枝になっている果実を食べて、一喜一憂してしまう。

下の鳥は上の鳥のような静かな状態に憧れ、枝を上っていくにつれいろいろ経験した結果、苦しみのない喜びだけを味わうことなどできず、喜びと苦しみはコインの表裏のように一体のものだということを理解する。

そして、甘い果実も苦い果実もどちらも要らない、つまり「欲望は放棄する」という考えが生まれる。

下の鳥は上の鳥の近くまで登って行き、最後に二羽は一つになる。

最初、下の鳥は自分と上の鳥とは違うと考えていた。

だけど、私たちの中で、絶えず喜び苦しみを経験している部分が下の鳥であり、本来の自己(絶対幸せな自分)を象徴しているのが上の鳥なのである。

★★★

このお話では、ココロは見えないものだけど、あちこち揺れ動く心を引き戻して自分の内側を感じることがとても大切だということを象徴している。それが欲望と執着の放棄につながる。

幸せは、外にはなくて、自分の内側にあるということ。

私たちの心はいつも他人にコントロールされてしまっているようで、相手の言葉に、褒められると喜び、批判されると落ち込んでしまう。

だけど、ココロとカラダは「絶対」ではないものと考える。

今日、心が作っていた「感情」は、明日もいるとは限らない。

カラダも生まれた時のままではないし、これからも変化していくもの。

そのココロとカラダのことを最もわかっているのは、誰かというと「自分」

日常生活で、ココロとカラダは、なかなか見えづらくて、特に、ココロは形がないから見えにくい。

私たちはみんな「幸せ」になりたいと思っていて、「平和」でありたいと思っている。

永遠を求めてるし、歳をとりたくないとか、寂しくなりたくないとか、満たされないと思っている。そんな風に思うのは、きっと私たちの「もと」がそうだから。

私たちの深い部分、もともとの部分は、幸せだから。歳をとったり、衰えたり、死んだりしないから。ずっと変わらない「幸せ」だから。

だから、欲望と執着を手放していくことで、本当の自分の内側の幸せが感じられる時がくるのかもしれないですね。

喜びや悲しみのアップダウンがあるから人生楽しいのかもしれないし、平和で穏やかな毎日だと、つまらないと感じてしまうこともあるし、どんな生活が自分らしいかを探し求めることが、自分の内側と繋がる近道ですね!

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