前回の記事を読んで、ドン引きされるかなと思ったら、意外にも好評だったので、みんなの疑問点含めて、更に深い話を書いてみようと思う。
かなり、マニアックになるので、興味がある方だけ、ぜひ読んでいってくださいませ・・。
「外の世界は、すべて自分の思考と心理が作りだしたもの」
よく、心理学では、パートナーは自分の鏡で、自分が思っていることを相手が映し出していると言われる。「投影」これと同じ考え方が、ヨガの哲学にもある。
人間は、大ざっぱに言うと、カラダ(肉体)、心(意識)、魂に、分けられ、カラダと心は、単なる物質で、本当の自分は魂である という話を前回したが、
さらに、突っ込むと、
自分は、カラダでもなく、心でもなく、「見る者=魂」であると考える。
自分は、いつも、自分のカラダと心が眼前で、行為しているのをみているし、
心が感情を生み出すことを、そして欲望を生み出すことをしっているが、
それに巻き込まれることがない状態を目指す。
はっ・・・・?
例えば、どういうことかというと、
自分の顔を見ようと思ったら、鏡をみる。
鏡に映っているのは、「私」という「顔=物質であり、肉体の1部」
鏡に映っているのは、「顔」という「物質」なのに、
自分の心がもし、汚ければ、「私の顔は汚い」と思うし、綺麗に磨かれれて輝いていれば、「私は美しい」と思う
人間は、自分の心に映った自分の像を自分とみなすということ。
これは、同じ現象がたくさんある。
例えば、友達と2人で家にいて、突然、知らない男の人が家に入ってきたとする。
ビックリして、一緒にいた友達に 「誰か知らない人が入ってきた!」という。
すると、急いで駆け寄ってきた友達が、その人を「あっ、お父さん!」と呼ぶ。
そして、「私のお父さんだよ。」とあなたに紹介したら、
あなたは「知らない人ではなく、友達のお父さんだと認識する」
ついさっきまでは、彼は見知らぬ人だったけど、それが、今や、友達のお父さんになった。
彼がお父さんに変わったのか??
ちがう・・彼は、同一人物。
自分がまず、「見知らぬ人」という観念を作り上げて、
次にそれを「お父さん」に変えただけのこと。
だから、外の世界のすべてが、自分の思考と心理的態度に基づいているだけで、世界はすべて、自分自身の投影だということ。
昨日は、「恋人」だった人が、今日は「見るのも嫌」な人かもしれない。
同一人物なのに。
自分の心が変わることによって、自分が何もかも変化させている。
これがわかれば、外の世界には、何も悪いところは、ないということがわかる。
それらすべては、自分の心の中にあるものだということ。
更に深い、究極のワンネス
もっと、考えていくと、
天気がいい日に「青い空だ」と思う。
「青い」というのは、自分がただ「青い」と思っているだけで、
青いをとったら、ただの「空」
空は、ただの「物質」
コップが目の前にあったとして、
ある人は、「コーヒーを飲むためのコップ」と思うかもしれないし、
ある人は、「植木に水をやるためのコップ」と思うかもしれない。
「〇〇のための」というのは、人によって捉え方が違うから、それを省くと、
ただの「コップ」
もっというと、「コップ」という概念も、コップという形は人それぞれ捉え方が違うから、
それを省くと、
コップはただの「陶器」
陶器は「土」
「土」はただの物質
心もカラダも物質。
そう、だから、
哲学では、この世のすべてのもの、「魂」以外は、すべて、「物質」であり、ワンネスだと考える。すべて、いつか終わりがくるもの。
かなり、無理矢理感のある説明かもしれないけど、考え方の1つだと思ってもらえると嬉しい。
じゃあ、魂が生まれ変わるとは?!
前回のブログで、魂は永遠で、今世、来世へ生まれ変わるという話をしたけど、哲学では、知識は、経験を通じてのみ、現れると考えられている。
例えば、赤ちゃんをテーブルの上で這わせておいて、
赤ちゃんが端の方まできて落ちそうになると、泣き叫ぶ
それは、なぜか?
落ちて死ぬことへの恐怖を赤ちゃんが感じるから。
死の恐怖が、どうして産まれたばかりの赤ちゃんへ入り込むのか?
それは、過去に一度経験したことがあることだから、死を恐れる。
「本能だ!」と思う人もいるかもしれない。
本能とは、何度も繰りかえされた古い経験の痕跡で、
心の奥深くに沈んだ印象だと考えられている。
それは、沈殿して、完全には消えない。
すべての経験は、潜在意識の中に蓄えられて、
同じような環境が作られたとき、また表面に浮かび上がる。
ある事を何度も、繰り返すと癖になる。
その癖を長い間続けていると性格になる。
その性格をずっと、保ち続けていると、最後には、来世で、本能として現れると考えられている。
同じ苦難や失敗を何度も繰り返してしまう人は、ある意味、「神様の再テスト」に遭遇しているともいえる。
自分の本能=潜在意識にまで刻まれた過去の経験 に打ち勝つことができるかどうかの。
インドの仙人は、おもしろく、こんなことを言っていた。
「服とか、恰好とか気にしすぎると、次は見た目を自由自在に操れるカメレオンに生まれ変わるし、子供を産むことに執着すると、来世はたくさん子供を産む動物、うさぎに産まれるよ・・・」と。
神の話は、説明するのが本当に難しくて、私も言語化できるほど、理解できていない。
元々、私も神になんて興味がなかったし、スピリチャルな世界だと思って、全く信じていなかった。
仙人曰く
「神を信じるのも、信じないのも、自分次第だけど、信じている人の方が、信じていない人よりも、少しは神に近い気がしないか?」
と言われて、それもそうだなと思い、勉強を始めた。
そうすると、自分でも不思議だけど、「ひきよせる力」が強くなってきた。
(念のために書いておくけど、私は全くスピリチャルじゃないので、ご安心を)
それは、特に、カウンセリングや、ヨガの仲間といる時におこる。
最近、特にたくさんあった。
- 遅れて授業に参加したら、1席残っていた席が、話してみたいと思った人の目の前だった
- 「悲しいことがあった」と言われただけで、「〇〇さんが亡くなった」と何があったかわかってしまった(その方にお会いしたのは3回目なのに)
- 50人のグループLineで「〇〇さん来てくれそうだなー」と想って、その日のクラスの内容をLineしたら、2カ月ぶりに、その人がクラスへ来てくれた
たぶん、カウンセリングやヨガの仲間は、意識レベルが、私と似ていて
(出会っている時点で、意識的につながっているのだけど)
だから、意識が繋がって、言葉では説明できないことが起こるのだと思う。
だから、私は、勉強を続けて、このセンスを研ぎ澄ませていきたいと思う。笑
(いつか、みんなのために、使いたい!)
カウンセリングでも、「思ったこと」が「行動として起こる」と勉強する。
「泣きたい」とおもったから、涙がでるような行動を自分で取るし、
「幸せになってはいけない」と思ったら、自ら罪悪感を感じらえるような行動を起こす。
だから、意志力は本当に大切で、いつも良い方へ、自分を導いてくれる考え方をしていたい。
そして、忘れないでほしいのは、
人間は、誰でも幸福になりたいと思っている。 幸福はもともと、私たちの中にある。 誰も私たちに幸福を、または「不幸」を与えることはできず、ただ自分自身の中の、幸福を映し出したり、咎めたりしているだけだということ。