前回のブログで、神と繋がるには、瞑想することと書いたけど、神と繋がるってどういうこと?とたくさん質問をもらうので、私の大好きな物語を引用したいと思う。
タイトルが、かなりスピリチャルになってしまったけど、1つの例えだと思って聞いてください!
これは、ヨギーなら必ず一度は勉強するスートラ(哲学書)の始めの方に出てくるお話であり、インドで長年語り継がれているお話。
★★★
ナーラダという大仙人がおり、この仙人は、神の世界と人間の世界を往来できて、時には、私たち人間がどのように暮らしているかを見るために、この地上にもやってくる。
ある日、彼が、森の中を通りかかると、あまりにも長い時間、瞑想していたために、全身がびっしり蟻塚で覆われてしまった人に会った。
その人がナーラダを見て言った。
「ナーラダ様、どこへ行かれるのですか?」
「天界へ、神の元へ行きます。」とナーラダは答えた。
「ナーラダ様、では、1つお願いしたいことがあるのですが・・」
「何だい?言ってごらん」
「私があと、何回生まれ変わって、瞑想を続けなければならないか、神から聞き出してはいただけないでしょうか?私はもう、ずいぶん長い間、ここで座り続けているのです。ですから、どうぞよろしくお願いします。」
「いいとも。」ナーラダはそう言って、何マイルか先に行くと、また別の瞑想している人間に会った。
「こんにちは。ナーラダ様どちらへいらっしゃるのですか?」
「天界です。神のもとへ。」
「わあ、いいな。じゃあ、あとどのくらいの間、私がここでこうやっていなければならないか、調べてきてはもらえませんか?私が、いつ最終的に神と繋がれるのかを?」
「いいとも。そうしよ。」
それから、何年かが過ぎて、ナーラダは、また前と同じ道を通りかかった。
すると、またあの1人目の男に会った。彼は、ナーラダを見ると、
「ナーラダ様、今日まで、あなたから何のお返事もいただけていませんでしたが、天界へは行かれたのですか?神は何とおっしゃっていましたか?」
「神に聞いてみいたのだが、おまえは後、4回の生まれ変わりが必要とのことだった」
「えっ?あと4回も?これだけ待ったのに、まだ足りないのですか?」
そういうと、彼は泣きじゃくり始めた。
ナーラダはもう1人の男のところへ行った。すると彼も、未だに瞑想を続けていた。
「ナーラダ様、どうでしたか?私のこと何かわかりましたか?」
「ああ」
「じゃあ、教えてください。」
「そこに木があるだろう?」
「ええ」
「その木の葉の数が、数えられるかい?」
「もちろん。それくらいの根気なら私にだってありますよ。今すぐ数えてみましょうか?」
「いや、ゆっくりやればいい」
「ところで。それと私の質問と何か、関係があるのですか?」
「ああ、神は、おまえはあの木の葉の数と同じだけ生まれ変わらないといけないと言っておられた。」
「おお。それだけでいいんですか?少なくとも限りがあるわけだ。さあ、これでどこで終わるかがわかったぞ。よかった。それならすぐにやってしまえる。神様、ありがとうございました!あなたは、この森にある、すべての木の葉の数だけとはおっしゃらなかった。」
その時、天から美しい、籠が下りてきて、その御者がいった
「どうぞ、お乗りください。神がこの乗り物をあなたのために遣わされました。」
「私のために?私に今すぐ、天界へ来いとおっしゃるのですか?」
「そうです。」
「でも、私は、何度も生まれ変わらないといけないと、たった今、ナーラダ様がおっしゃったばかりですが・・・」
「その通りです。しかし、あなたは、もうとっくにそのつもりになり、喜んでそれをしようとしておられました。ですから、あなたは、もう待つ必要はありません。さあ、参りましょう。」
「では、彼はどうなるのですか?」
「彼は、たった4回の生まれ変わりに対してさえ、心の準備ができていません。彼には、あのようにさせておきましょう。」
これはただのお話ではない。
そこに隠された真理はよくわかるだろう。
もし、あなたが、それほどまでの忍耐を持ち合わせているならば、心は安定しており、あなたの成すことは、より完全であるだろう。心が定まらず、より成果を得ることだけに、執着しているのなら、すでに、そのことにより、あなたの心は乱れており、そのような心によって、なされた行為には、尊さもない。だから、どれほど、長い間、修習するかということだけが問題なのではなく、どのような堅忍、どれほどの熱意、そしていかにすぐれた内実を持っているかということが問題なのだ。
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このお話を読んで、みんなは、どう思いましたか・・?人によって、響くポイントは違うと思う。神と繋がることは、当たり前だけど、そう簡単なことではない。
だけど、日常には、私たちはワンネスで、1つだと感じさせてくれる出来事がたくさんあって、それに気づけるかどうかは、自分次第。
ただ、自分を信じて心を修練させていく。辛いことや苦しいことは生きていたら、たくさんあるし、それは、神から試されている試練であり、自分を成長させるチャンスでもある。
もちろん、その渦中にいる時は、そんなことに気づく余裕もないけれど。何年後かには、そう思えるように、毎日、今を生きてほしいと思う。そして、私もそんな光に気づいてもらえるカウンセラーになりたいと思う。
どんな苦しいことも、自分の気持ちの持ちようで、ポジティブにもネガティブにもなれる。
そんなことに気づかせてくれるお話。
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