また抽象的な、なんとも大げさなタイトルにしてしまったけど、
たぶん、生きている以上、みんな「幸せになりたい」と思っているし、
「幸せとは何なのか!?」というのは、永遠のテーマだと思う。
こんなお話がある。遠い昔、ブッタも聖仙人も同じことを疑問に思い、こんな考察をしたのです。
幸福=富 と錯覚している人は多い。だけど、本当にそうなのか?
億万長者によっては、不幸な人もいる。
お金がありすぎて、何を目的に生きたら良いかが分からなくなる人もいる。
お金に振り回されて失うことを恐れている人もたくさんいる。
貧乏人だけど、幸福な人がいる。
反対に、お金がなくて貧乏だけど、何の煩いもなく、日々楽しく生きていられる人も沢山いる。
だから、幸せとは、所有する財産の多さではない。
幸福度は、繰り返す回数が多いと減少する。
美味しいお菓子も、一口目は美味しくても、何十個も食べると、最後は苦痛になる。
だから、お菓子の中に、幸せの源は入っていない。
好きなものや楽しみは人によって異なる
お酒が好きな人は、お酒の中に「幸せの源」が入っていると考える。
だけど、嫌いな人は、そうは思わない。甘いお菓子、タバコ、それ自体に良いも悪いもない。
だから、物の中に、「幸せの源」は入っていない。
好きなものや楽しみは、社会によっても異なる
アラブの社会では、甘い紅茶が楽しみのもと。ギリシャでは、苦いコーヒーが楽しみのもと。
日本だと、苦い緑茶に楽しみの源が入っていると思う人もいる。
だから、幸せや楽しみは、生活習慣という 心・意識の中にある。
気分によっても異なる
美味しいイタリア料理も恋人同士の食事ならば、美味しくても、喧嘩しあっている夫婦同士の食事では、おいしさも半減する。
だから、幸福や快感は人の心の中にある。
物に関わらない心の快感もある
ソファーの上でボーっとしている時、天気がいい日に目を閉じて野原で寝転がっている時、心が鎮まるにつれて、喜びが心の底からわきあがってくる時がある。
だから、幸福や快感は、物の有無に関係しない。
何が言いたいかというと、幸福は、見たり、聴いたり、嗅いだり、触ったり、味わったりする、人の感覚器官の対象の中にはなくて、むしろ、その人の「心の状態」に関係している。
だから、幸福は、外の世界ではなく、その人物の心の内心にある。
よく、「自分を幸せにできるのは、自分だけだよ。」とか言われるけど、始めは、なかなかこの意味を理解することが難しかった。
書いていることの角度は違うけど、師匠である根本さんのこの記事(投影の法則再び~あなたの見てる世界はあなたの心の世界を映し出したもの~)と同じことを言っているなと思う。
そして、それを説明するのに、こんな物語がある。
ある若者が、窓もないみすぼらしい小屋の入り口前で、砂の中に手を入れて、何か探し物をしている老女に声をかけた。老女は「落とした縫い針」を探していると言った。若者が一緒になって、砂の中を探してみたが、見つからなかった。老女が落とした縫い針はどこにあるのだろうか?
老女が縫い針を落としたのは、小屋の入口ではなく、暗い部屋の中。
検討違いの場所を探しても、それは、見つかるはずもない。
幸せも同じ。検討違いの場所「外の世界」に探してもそれは見つからない。
それは、自分の心の内側にあるものだから。
うーーん。なんとも、深いお話。だけど、色々なことが繋がっていると思う。そう思えるくらい、まずは、自分の心の内側を平和に保っておきたいと思う。そして「幸せ」は内側にあることに気づいてもらえるよう、世界平和には、まだまだ遠いけど、少しづつ伝えていきたい。