「心がないと時間もない。心がないと空間もなくなる。」聞いただけでは、全くよくわからないことを、説明したい。
昨日までの続きはこちら。心に関してお話しています。
この考えを理解するのは、すごく難しいよね。
例えば、私たちは時間として、自分の年齢(30歳とな50歳とか)や、
空間として、自分が住んでいる場所がある。
そういう、時間と空間の軸がないと何かをイメージすることは難しい。
毎日の会話も日々の生活も時間と空間の概念がないと何もイメージできないくらい重要なもの。
だけど、実は、時間も空間も、単なる心の想像であると言われているのです。
前のブログで、人間の状態は3種類あると説明したけど、(熟睡しているとき、眠っているけど夢を見ているとき、起きてるとき)
みんなこんな経験はないかな?
熟睡して、ぐっすり寝ると、起きた後に、自分がどこにいるか、どれくらい眠っていたかわからなくなること。朝だと、お日様がてるので、それで、朝だとわかるけど、昼間にぐっすり寝てしまって、起きると、どれくらい寝て、今、どこにいるかわからなくなること。
それは、時間と空間の考えがなくなっている証拠といわれている。
なぜかというと、心がないから。
寝ぼけているだけでしょ!と言われるかもだけど、ぐっすり寝ている時は、心は働いていない。
だから、心が働いてないと時間と空間はない。
またこんな経験もあると思う。
ホテルに泊まって、疲れてぐっすり寝てしまい、トイレに行きたいと思って起きるけど、トイレのドアがどこか探してしまう。自分はその時、家にいると勘違いしてしまって、ホテルのトイレのドアがどこかわからなくなってしまう。これは、心がないことで空間の考えがなくなってしまう例。(寝ぼけているからじゃないよ)
これが時間と空間は心の想像であって、心がないと時間も空間もなくなってしまうことの証明。時間と空間の考えがなくなってしまったのは、「心が働いてない」からで、目覚めた後は、また心が始まり、時間、空間、人、物で、いっぱいになる。
それくらい、心は重要でもあり、たくさんの感情を生み出すもとになっている。
そして、心がない状態=熟睡している状態=神と繋がっている状態 とも言われているのです。
こう考えていくと、心(感情)の雲がやっぱり、邪魔をして、本来の私たちを見えなくしてしまっているということにも繋がっていく。
だから、心を放棄することが大事
昔の聖者たちのお話でこんな話がある。
「欲望が満たされると私は幸せを感じる。だから、欲望を満たすことが幸せになる方法である」そのため、儀式の目的は欲望を満足させることだった。だけど、次第に、欲望の満足によって得られる喜びは長続きせず、決して欲望が無くなることはない、ということに気がついた。
私たちも同じ種類の喜びを経験している。だけど、私たちはその経験を忘れて懲りずに同じものを求め続けている。考え方ややり方を変えようとはしない。欲望がある間、永遠の幸せを得ることはない。聖者たちはそれを理解した。欲望の対象は一時的なものだから、欲望の満足も一時的になる。
一時的なものから永遠は生まれない。
だから、「一時的なことを放棄して、永遠のことを考えなさい。そうすれば永遠の幸せが現れます」
放棄の本当の意味は執着を捨てること。
出家をするとか森にすむとか外側の放棄ではなく、心の中で行われる放棄である。
しかし、口で言うほど簡単ではない。どれほど大変か実践してみるとわかる。内面の放棄ができるようになるにはたくさんの実践が必要である。
私なりの理解だけど、私たちの身の周りには、たくさんのことが起こる。だけど、それは、自分の感情といかに折り合いをつけて、感情に執着せず、心(感情)を手放していくかという練習をするための、試練を与えられているのだと思う。
昔の人の教えはとても深い。今の心理学の考えと繋がるところがたくさんある。
私のブログを読んで、地に足のついてないことばかり、書いているなと思う人もいるかもしれないけど、それをどうやって、日常生活に、取り入れるかをわかりやすく伝えていきたいし、少しでも楽になる心の考え方、拠り所としてお伝えしたいなと思っています。
この続きは、こちら。
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